創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年特別展|『名作誕生-つながる日本美術』

第1章 祈りをつなぐ

瀬谷さん

第1章 祈りをつなぐ

インタビュー

名作をコラージュ。
宗達の古典学習が「わかりやすい」理由

「つながり」というキーワードで読み解くとき、
俵屋宗達の絵画はとてもいい例になります。
それは、自分が手本とした名作を、
まるでコラージュのように再利用しているから。
なぜこんなにも「わかりやすい」手法を使ったのか、 東京国立博物館の金井裕子さんにうかがいました。
(聞き手・構成:田邉愛理)

謎に包まれた宗達の生涯

第2章「巨匠のつながり」で、テーマ5「宗達と古典」を担当した金井さん。主人公の俵屋宗達(生没年不詳)は、 「とにかくわからないことだらけの人物。なぜこの人を選んでしまったのか…」と苦笑まじりに話します。

京で絵屋「俵屋」を営みつつ、烏丸光広(1579ー1638)をはじめ当代一流の文化人や公卿とつきあい、宮中の御用も受けたと考えられる宗達。 しかし彼の直筆や基準印、出自を示す史料はなく、具体像はヴェールに包まれたままです。

国宝 岩佐又兵衛筆 洛中洛外図屛風(舟木本)(右隻・部分) 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 【通期展示】

金井さん「史料を見ていくと、彼の存在を示す『点』が散らばっている状態。それも『俵屋という扇で有名な絵屋があった』という一節や、 『宗達』という名が出てくる堺の豪商や茶人の手紙など、ごくわずかしか残っていません」

宗達の名がポツポツと史料に登場しだすのは1602年ごろ。福島正則が「平家納経」を修復した際、三巻の補作を手がけ、 失われた表紙や見返し絵を制作したことが判明しています。

金井さん「そのころには絵屋として独立していたはずですが、修業先も一切不明。展覧会の第4章に登場する岩佐又兵衛筆 『洛中洛外図屛風(舟木本)』(№118)には、同時代の扇屋や絵屋の様子が生き生きと描かれているので、ぜひ探してみてください。 私たち研究者も、こうした作品を通して『宗達もきっとこんなふうに扇を売っていたんだろうな』と類推するしかないんです」

由緒ある「平家納経」修復に携わったほどの絵師が、ここまで自らの足跡を残さないというのもふしぎな話。そこに宗達を語る難しさがあり、 面白さがあるようです。

「メディアとしての扇」の面白さ

宗達が営む絵屋「扇屋」は、京ではかなり知られた人気店だったそう。扇はいわば現代のハンカチのようなもの。日常的に使う消耗品でありながら、 手紙のように文や和歌をしたためたり、季節ごとの贈答品にしたりもする文化的ツールでした。

金井さん「扇に描くモチーフとして人気があったのは、吉祥文様や物語絵、名所絵です。誰でも買えて、持って動ける扇は、 いちばん身近な『流通する絵画』。扇として人気が出た絵は拡散しやすい。写真もインターネットもなかった時代、 名所や物語のイメージを広める流通ソースとして、もっとも大きな役割を果たしたのが扇でした」

「写真もインターネットもなかった時代、名所や物語のイメージを 広める流通ソースとして、もっとも大きな役割を果たしたのが扇でした」 「写真もインターネットもなかった時代、名所や物語のイメージを 広める流通ソースとして、もっとも大きな役割を果たしたのが扇でした」

拡散するだけでなく、拡大することもあるのが「メディアとしての扇」の面白さ。制作によりコストがかかる画帖や屛風の画題を決めるとき、 扇として売れたかどうかは良い判断材料になります。洛中洛外図や武蔵野図も、まずは扇に描かれたはずと金井さん。

宗達が描くイメージが、扇を通して全国に拡散し、豪奢な屛風へと拡大していく。そんな「つながり」を想像すると、 作品を見る楽しさがさらに増す気がします。

「コラージュ」が生み出した斬新な表現

宗達がもっとも得意としたのは、『伊勢物語』『源氏物語』『平治物語』など、文学や謡曲をテーマとした扇絵や屛風でした。 本展には宗達が携わった扇面屛風が3点展示されますが、興味深いのがその制作手法。宗達は、お手本にした名画に登場する人物や動物、樹木の形を、 そのまま切り抜き、自分の作品に配置しなおしてしまうのです。

金井さん「パッチワーク的というか、コラージュのような面白さがあるんですね。たとえば同時代の狩野派や、 展覧会の第4章で登場する長谷川等伯は、昔の絵をすごく勉強するんだけれど、それを自分のものにしてから描く。

でも宗達は、ひと目で出典がわかるコラージュを組み合わせて、新しい画面を構成しようとしています。 この『わかりやすさ』は、現代人の目から見ても明らか。そこがちょっと、他の絵師とは違うと思うのです」

俵屋宗達筆 扇面散屛風(左隻)
江戸時代・17世紀 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
【展示期間:4月13日~5月13日】

その顕著な例が、今回の展示の見どころ。「平治物語絵巻」(№55~57)から「扇面散屛風」(№52)への図様の切り抜き、 そして「西行物語絵巻」(№58)から「物語図屛風」(№59)への図様の転用です。

金井さん「会場では、宗達が古典的な『名作』をどう学び、どう再利用したのかを、作品を目の当たりにしながら検証することができます。 『平治物語絵巻』なんて、本当に骨までしゃぶりつくす勢い。扇になりそうな場面は全部コラージュしています」

切り貼りされたのは、華やかな場面だけではありません。寝ている牛飼いや門番など、なんでもないシーンも多く、セレクトの基準は不明だそう。

金井さん「気になるのは、すべてを自分のオリジナルで描くのではなく、あくまで先行例を基準にして作り上げるんだ…という、 宗達のこだわりが感じられるところ。今回は出ていませんが、有名な風神雷神図屛風や舞楽図屛風も、 先行作品の名場面をそのまま持ってきているんですよね」

新しい造形を生み出すことよりも、誰もが知るパーツをどれだけ効果的に再配置するかに、強い興味を感じていたらしい宗達。 そこには彼の主張が見え隠れする、とも。

金井さん「宮中で育った文化であるやまと絵は、先行例をしっかり学んで受け継いでいること、儀礼的に間違いないものであることが絶対条件でした。 宗達のように出自がわからない人が、宮中で正統な作品を作るとなると、きちんと古典にならって描いたことを示す『わかりやすさ』が 必要だったのかもしれません。それは彼のコンプレックスだったかもしれないし、逆にそれで売り出していたのかもしれない。真相はわかりませんけれど」

「パクリ」を嫌いオリジナリティを重視する現代とは違い、当時の文化は「正統性>オリジナリティ」。それでも、 尾形光琳のように宗達にあこがれた後世の画家たちも、 現代を生きる私たちも、同じように宗達の絵にインパクトを感じる――そこに宗達の特徴があると金井さんは語ります。

金へのこだわりが示すもの

謎に包まれた宗達の生涯を考えるうえで、金井さんがもうひとつ注目しているのが「金へのこだわり」。

金井さん「宗達は金銀の使い方にすごく特徴があるんです。初期には文字を書く料紙の装飾を多く手がけていますが、金銀泥を巧みに使っています。 現存する屛風も金銀を使ったものが多いのですが、そのこだわりが半端ではないんです」

「現存する屛風も金銀を使ったものが多いのですが、 そのこだわりが半端ではないんです」 「現存する屛風も金銀を使ったものが多いのですが、 そのこだわりが半端ではないんです」

金色の画面を作りたいとき、ふつうなら金箔を大きく切って貼っていけばいい。でも宗達の作品をよく見ると、ここは金箔貼りなのに、 その下には細かく砕いた金をすり込み、その下には細長く切った金箔を貼って…と、謎のグラデーションを作っていたりするのだそう。

金井さん「すでに指摘されていることですが、金銀装飾への強い執着心を感じます。ほかの絵師――たとえば宮中の絵所の絵師たちは、 金銀の細工は外部に発注していたので、そこまでの発想はない。おそらく宗達は、金銀を加工する技術職、 あるいはその納品元と近い位置にいた人だったのでは。個人的にはそんな気がしています」

天性のギャップを持つ「とぼけた男」?

最後に、金井さん自身が宗達にどんなイメージを持っているのか聞いてみました。

金井さん「いや、わからないですね! わからないけど、でも…絵は、けっこうふわっとしているんです。線も柔らかいし、 神経質にきちっと描くタイプでは全然ない。そういう一面と、配置の緻密さのギャップというか。天性のものかもしれませんが、 大胆さと繊細さの両方を、極端に持っている人だなという感じがします。

芸術家気取りじゃなくて、職人としてのこだわりを持ち、かつそれを全面に出さない柔らかさがある。イメージとしては、 すごく仕事ができるのに、一見とぼけたおじいさん…おじいさんじゃなくてもいいんですけど(笑)。そういう二面性というのは、 面白いなと思いますね」

聞くほどに興味が深まる俵屋宗達。市井の人も高貴の人も魅了した、 大胆かつ繊細な表現をぜひ味わってみてください。

プロフィール 金井 裕子さん 東京国立博物館 学芸研究部調査研究課 絵画・彫刻室 主任研究員
専門分野は日本絵画